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飯高町で活動報告会

飯高町で活動報告会をしました。たくさんの方にご参加いただき感謝しております。
議会の事、この一年あった事など皆さまにお話しました。東北に被災地に自分の持っているスキルで何か出来ることはないか、これから松阪で活かしていかなければならない事はなにか、などを知りたいという思いで東北に入り見てきたこと、お聴きした事などお話ししました。

報告会の内容は・・昨年の決算議会から今年の6月議会のことなどですが---

最後に東北に行った事をお話した。(被災地の様子ですが---)その内容をブログに紹介します。

岩手県一ノ関市からレンタカーで陸前高田市に向かって走りました。、山の中をふつうに走るどこでも同じような風景でしたが、どこでまちの様子が変わってくるのだろうと思いながらの移動でした。

地震の影響と思われる瓦が落ちた家屋を最初に発見。そして坂を下り始めたとき、ついにその風景はやってきました。緑の木々の中に浮かび上がる赤茶色に枯れてしまった杉の木。道路の縁石の上に乗ったままの乗用車。
その後は、テレビ報道では何度も目にした陸前高田市のまちの様子が目に入って来ました。

いったいここは、以前どんなまちだったのか?想像することもできない、ただ一面に平地が続くような風景の中、スーパーであったと思われる建物とその看板や壁や窓の抜けたJAの建物・市役所・消防署、海のすぐ近くにはホテルも見えます。この、今私が立っている場所は、間違いなく津波にさらわれた場所と確信できる・・。なんとも言葉にならない何もない風景。胸が詰まり、言葉を失いました。

東日本巨大地震の津波で壊滅的な被害を受けた岩手県陸前高田市で、国の名勝にも指定されている「高田松原」の数万本の松が、ほぼすべてなぎ倒される中、奇跡的に1本だけ生き残っています。すさまじい波にのみ込まれながらも、強く、まっすぐ伸びる1本の松の姿に、市民らは「まちを復興に導く象徴だ」と、新たな希望を見いだしているこの松。

matu.jpg


その、奇跡と呼ばれた唯一残った老い松が炎暑の中であえいでいました。海水による根腐れを防ぐためポンプでの排水作業が続いています。
他の枯れた木の先にも、緑の葉を見つけました。生命力を感じました。松と、被災地の皆さんと共にこの木も頑張ってほしいとそう願いました。 

言葉を失いながらも、市内を見て回っているときに、雑草の中にひまわりの花を見つけました。8月生まれで夏の花、ひまわりが大好きな私は、嬉しくなって写真に収めようと車をあるお宅の前に停めて出ました。てっきりお留守かと思ったそのお宅から出てこられた男性とそのお母さんらしき女性があり、「すみません、車を・・」と話し始めると、快く「どうぞどうぞ。よかったらこちらに」と言っていただき、村上さんというお宅ですが、見せていただき、そこからお話を聞かせていただくことになりました。

津波で、松原の松が根のついた状態で壁を破壊し家の中まで流れてきたこと、その家は立派な真っ黒な柱が天井に横たわるような、古くからあるお宅だということ、その家で生まれ育ったご主人の希望で、またこの家に住むために、ボランティアの方に助けてもらい泥出しや家をきれいにしているということ。家の周りに車が横転ではなく縦転したまま3台突き刺さったような状態であることを、見せていただき、お話をいろいろ伺うことができました。

てともあたたかい方でした。なんと・・「ボランティアの方に食べていただこうと朝焚いたんだけど、よかったら食べてって。」とおでんをお皿に盛りつけようとしてくださり、こちらがしなくてはいけないのに、いただくわけにはいかないから、とお断りすると「いえいえ、食べてって、こんなんでよかったら・・」と取り分けてくださいました。つらく思いながらもずうずうしくご馳走になり、たくさんお話を聞かせていただきました。震災当時の写真も見せていただきました。たくさんの方に、この事実を知ってもらいたい。そうおっしゃってみえました。私たちは、この真実を、遠くにいるからと風化することなく伝えていかなければならないと、そう強く感じました。

そして、なにより心に残ったのは、最初にお会いしたときの言葉「生きて苦しい(生きても苦しいんだよ。)」・・その言葉でした。

touhokuhimawari.jpg
(このひまわりは植えられたものです)

ひまわりは、以前このおうちの畑があったところに雑草とともに生えていたのでした。
津波にさらわれ、なにもかもなくなった土だけの土地に、5ヶ月経つと雑草はたくましく生えてくることがわかりました。その中のひまわり。ひまわりは、放射線に強いと聞きましたが、塩害にも強いと聞き、まさしく今の東北地方に必要で、こちらの方々の姿のようだと思いました。

お日さまに向かって、しっかりと咲く元気なひまわり。明るく太陽のような花。そんなひまわりのようになりたいと、ひまわりが大好きな私でしたが、こんなふうに東北の地で見て考えるとは思っていませんでした。

村上さんと別れ、走っていて見つけた仮設歯科診療所を2軒訪れました。もちろん突然でアポなしです。
突然伺った歯科診療所でしたが、受付で事情を話すと、院長先生がお話いただくとのこと。ありがたく思い、待たせていただくことに・・。その間、受付の方から、震災当日の様子を聞かせていただきました。先生から、危ないから早く帰るように言われ、皆で翌日早めに来て整理をしようという話になっていたということ。翌日は、医院が流され職も失い途方にくれていたところ、先生から仮設診療所での診療再開の連絡があり、準備のころから嬉しくて楽しくて、開院に向けて一生懸命準備したということ・・スタッフは無事だったけれど、その何人かの家族は不幸なことになったということ。

先生が診療を終わられたので、突然の来訪を陳謝し、話し始めると、当時のことを語って、仮設診療所開設に至るまでの経緯をお話くださいました。立派な旧家の先生のお宅も流され、今は仮設住宅に入っていらっしゃるとのこと。被害に遭った歯科医師仲間のスタッフを雇用したこと、高齢者や子どもの口腔管理のこと。

やはり、生の声を聞かせていただかなければなりません。その生の声を聞き、様子を見せていただき、初めて自分にできることは何なのか・・それが見えてきます。
今回、私は議員としては何もできない。それがわかりました。でも、個人でできること、自分の資格を生かしてできることがあるということがわかりました。

先生にお礼を言って診療所をあとにし、外で写真を撮っているとき、先生が再度出てきてくださいました。「歯科衛生士さんと思い話していたけど、議員さんとは改めて知った。ぜひ、復興に力を貸してください」と。・・復幸支援センターに松阪市から副市長がいます。
議員として、人を繋げることができるということがわかりました。
松阪のため、被災地のため、地域は違っても、できることをしていこう。そう、強く思った一日でした。

石巻市については、この後に続きます。
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なかせこはつみ【松阪市 中瀬古初美

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